2012年10月21日日曜日

【 I (私)】2


 I (私)は大文字にするのに、you, he, sheはなぜ大文字にしないのでしょうか?

 つまり、なぜ I の抽象度が他の人称代名詞よりも高いのでしょうか?

 この問いに答えるために、英語の視点についての認知言語学の知見を手がかりにします。


 
 唐須教光編 『開放系言語学への招待』 慶應義塾大学出版会、2008年

 上記著作の P198 多々良直弘 『第10章 スポーツ・コメンタリ― -メディアが創るスポーツという物語』 から以下引用します。


 認知言語学の分野ではある事態を言語化する際に、認知の主体が事態をどのように把握するかにより、言語表現に差異が生じることが論じられている。池上(2006)は・・・英語ではオフステージからの定点的視点 (God eye’s view) で語られる傾向にあるという。・・・つまり英語では神の視点から事態を表現するためにアメリカ(英語)型の報道では客観情報を提供し・・・


 要は、英語という言語は、「神の視点」から事態を表現している言語である、ということです。

 「神の視点」とは、あえてわかりやすくいってしまうと、鳥の視点でしょう。上空から地上を鳥瞰図的にみている視点です。

 重要なことは、「神の視点」で事態を表現するからこそ、英語は、「具体」と「抽象」を形で区別するという特徴をもつことになった、ということです。

 なぜなら、このような大きな鳥瞰図的な視点がなければ、主観と客観の区別、現実と想像の区別などはできないであろうからです。


    英語の視点 : 「神の視点」 (鳥瞰図的視点)

               → 「具体」と「抽象」を形で区別するという特徴


 さて、この神の視点という英語の視点をふまえ、「なぜI (私)は大文字にするのに、you, he, sheはなぜ大文字にしないのか」を考えます。

 そのためには、もう一つの視点を導入する必要があります。

 それは、英語からみた「話し手」という視点です。

 確かに、英語の構造は神の視点のような鳥瞰図的視座にもとづいてつくられていますが、その英語を使用しているのは、「話し手」です。

 つまり、神の視点というのは英語の構造の問題であり、それとは別に、英語の使用の問題があるのです。

 それをふまえて「話し手」と「英語」の関係を考えると、その関係が支配と被支配の関係であることがわかります。話し手は英語を使用しますが、英語は話し手によって使用されるのです。

 したがって、「話し手」は「英語」にとって「神」のような存在であるといえるのです。


    「話し手」と「英語」の関係 : 支配と被支配の関係

                       → 英語にとって話し手は「神」のような存在

 
 以上をふまえて考えると、英語にとって話し手である I は神のような特別な存在であるのです。

 このことが、「なぜI (私)は大文字にするのに、you, he, sheはなぜ大文字にしないのか」の答えであり、同時に、「なぜ I の抽象度が他の人称代名詞よりも高いのか」の答えとなるのです。


    「話し手」 =  I  : 英語にとって I は「神」のような特別な存在

                → I を大文字にする 

                = I の抽象度が他の人称代名詞よりも高い


 次に、「英語の視点」についてさらに考えたいと思います。


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