2012年10月27日土曜日

【英語の視点と日本語の視点】


 「英語の視点」と「日本語の視点」の違いについて考えます。


 
 唐須教光編 『開放系言語学への招待』 慶應義塾大学出版会、2008年

 上記著作の P198 多々良直弘 『第10章 スポーツ・コメンタリ― -メディアが創るスポーツという物語』 から以下引用します。


本多(2005:154-155)も「英語は状況を外部から見て表現する傾向が比較的強いのに対して、日本語は状況の中にいて、その現場から見えたままを表現する傾向が強い」と述べている。・・・つまり英語では神の視点から事態を表現するためにアメリカ(英語)型の報道では客観的情報を提供し、日本語では認知の主体である話者が「事態の中に自らの身を置き、その事態の当事者として体験的に事態把握をする(池上 2006)ため記者の主観的、体験的な情報を提供するという特徴が生れてきていると言えるだろう。


 上記をまとめると以下のようになります。


    英語の視点 : 神の視点(「鳥瞰図的視点」)

    日本語の視点 : 「埋没的視点」


 英語の「鳥瞰図的視点」とは鳥の視点です。上空から地上の全体像を見渡すような視点です。

 一方、日本語の「埋没的視点」とは、例えば、電車の車掌さんの視点を思い浮かべてみてください。電車の進行方向の一番前の車両に乗っている車掌さんの視点は、自分の前方は見えていますが、自分の後ろだけでなく自分自身さえも見えていません。つまり、目の前のものしか見えていないという視点なのです。

 この視点の違いから以下の特徴がでてくると考えられます。


   英語の視点 : 「鳥瞰図的視点」 

              → 主観的視点 + 客観的視点

              → 「具体」だけでなく「抽象」もみえる

              → 「具体」と「抽象」の区別


   日本語の視点 : 「埋没的視点」 

              → 主観的視点のみ

              → 目の前の「具体」しかみえていない


 日本人は「抽象思考」があまり得意ではないのではないかというのが私の実感ですが、これも上記の日本語の視点からくるものではないかと考えられます。

 また、日本語はよく主語を省略しますが、これも日本語の埋没的視点・主観的視点の結果として、自分自身が見えていない、つまり、自分を客観的に見えていないため、自分自身をあらわすことを省略してしまうのではないかと考えられます。


   日本語の視点 : 「埋没的視点」 

              → 主観的視点のみ

              → 目の前の「具体」だけがみえる

              → 自分自身が客観的にみえていない

              → 主語の省略


 一方、一般的に英語圏の人は論理(ロジック)を重視し、一般的な日本人と比べて「抽象思考」が得意であると思われます。これも上記の英語の視点からくるものではないかと考えられます。

 また、英語は、命令文を除いて、主語を省略することはほとんどありません。これも、英語の鳥瞰図的視点の結果として、自分自身が客観的にみえているためであると考えられます。


    英語の視点 : 「鳥瞰図的視点」 

              → 主観的視点 + 客観的視点

              → 「具体」だけでなく「抽象」もみえる

              → 自分自身も客観的にみえている

              → 主語を省略しない


 以上は、あくまでそういう傾向があるという話ですが、このような視点は認知言語学が解き明かしたすぐれた知見ではないかと思います。


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