大西泰斗 『英文法をこわす 感覚による再構築』 日本放送出版協会、2003年
受動態における「英語の視点」についてこの本から取り上げます。
I was surprised to hear the news.
「私はそのニュースを聞いて驚いた。」
英語では感情の述べる際、be surprised などすべて受動態の形を取る。この「感情は外側の原因から引き起こされる」という強い傾向をもつ英語ということばにとって、「感情-原因」は非常に濃密な関係にある。こうした事情が、感情と to のコンビネーションにより強固な結びつきを与えているにちがいない。(P46)(傍線筆者)
「私は驚く」を表現する際、英語と日本語では次のように違った表現をとります。
英語 : 受動態 (私は驚かされた。)
感情は外側の原因から引き起こされる
日本語 : 能動態 (私は驚いた。)
感情は内側から自然と起こる
この違いはなぜ起るのでしょうか?
それは「英語の視点」と「日本語の視点」が違うからであると考えられます。
英語の視点 : 「鳥瞰図的視点」
→ 主観的視点 + 客観的視点
→ 「具体」だけでなく「抽象」もみえる
→ 「具体」と「抽象」の区別
日本語の視点 : 「埋没的視点」
→ 主観的視点のみ
→ 目の前の「具体」しかみえていない
英語の「鳥瞰図的視点」とは鳥の視点です。上空から地上の全体像を見渡すような視点です。
受動態とは能動態の主語と目的語を入れかえた表現ですが、これは目の前の事態から一歩引いて距離をとった「客観的」な視点です。つまり「私は驚いた」と言う際、英語は「私は驚かされた」と事態を「客観的」に見ているのです。
一方、日本語の「埋没的視点」とは、例えば、電車の車掌さんの視点を思い浮かべてみてください。電車の進行方向の一番前の車両に乗っている車掌さんの視点は、自分の前方は見えていますが、自分の後ろだけでなく自分自身さえも見えていません。これは目の前のものしか見えていないという視点です。つまり「私は驚いた」と言う際、日本語は「私は驚いた」と事態を「主観的」に見ているのです。
このことは【英語の視点と日本語の視点】のところで述べた内容です。
ではなぜ「私は驚いた」と言う際、英語は「私は驚かされた」と事態を「客観的」に見ているのでしょうか?
それは英語が「因果関係」という「抽象」を見ているからです。
大西先生が指摘されているように、「感情は外側の原因から引き起こされる」ことを英語の話し手は見ています。そしてこの「因果関係」は目で見ることができる具体的なものではありません。話し手の頭の中で想像することによってはじめて見えてくる「抽象的」なものです。
そしてこの「抽象」である「因果関係」はこの場合、「私の驚きという感情は外側のニュースという原因から引き起こされた」ため、「~される」という「受動態」を使っているのです。
受動態: ~される 客観的視点
因果関係という「抽象」が見えている
感情を表現する際の「英語の視点」
一方、日本語の話し手には「因果関係」という「抽象」は見えておらず、「驚いた」という目に見える「具体的」な事態だけを見ています。「私は驚いた」と言う際、日本語が「私は驚いた」と事態を「主観的」に見て「能動態」を使うのはこのためです。
能動態: ~する 主観的視点
目に見える「具体」だけをみている
感情を表現する際の「日本語の視点」
以上のことからも、英語がいかに「具体」と「抽象」を形で区別しているかがわかります。
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