2012年11月18日日曜日

【受動態における「英語の視点」】




 大西泰斗 『英文法をこわす 感覚による再構築』 日本放送出版協会、2003年

 受動態における「英語の視点」についてこの本から取り上げます。


      I was surprised to hear the news.   

      「私はそのニュースを聞いて驚いた。」

 英語では感情の述べる際、be surprised などすべて受動態の形を取る。この「感情は外側の原因から引き起こされる」という強い傾向をもつ英語ということばにとって、「感情-原因」は非常に濃密な関係にある。こうした事情が、感情と to のコンビネーションにより強固な結びつきを与えているにちがいない。(P46)(傍線筆者)


 「私は驚く」を表現する際、英語と日本語では次のように違った表現をとります。


     英語 :  受動態  (私は驚かされた。)

            感情は外側の原因から引き起こされる


     日本語 :  能動態  (私は驚いた。)

              感情は内側から自然と起こる


 この違いはなぜ起るのでしょうか?

 それは「英語の視点」と「日本語の視点」が違うからであると考えられます。


   英語の視点 : 「鳥瞰図的視点」 

              → 主観的視点 + 客観的視点

              → 「具体」だけでなく「抽象」もみえる

              → 「具体」と「抽象」の区別


   日本語の視点 : 「埋没的視点」 

              → 主観的視点のみ

              → 目の前の「具体」しかみえていない


 英語の「鳥瞰図的視点」とは鳥の視点です。上空から地上の全体像を見渡すような視点です。

 受動態とは能動態の主語と目的語を入れかえた表現ですが、これは目の前の事態から一歩引いて距離をとった「客観的」な視点です。つまり「私は驚いた」と言う際、英語は「私は驚かされた」と事態を「客観的」に見ているのです。

 一方、日本語の「埋没的視点」とは、例えば、電車の車掌さんの視点を思い浮かべてみてください。電車の進行方向の一番前の車両に乗っている車掌さんの視点は、自分の前方は見えていますが、自分の後ろだけでなく自分自身さえも見えていません。これは目の前のものしか見えていないという視点です。つまり「私は驚いた」と言う際、日本語は「私は驚いた」と事態を「主観的」に見ているのです。

 このことは【英語の視点と日本語の視点】のところで述べた内容です。

 ではなぜ「私は驚いた」と言う際、英語は「私は驚かされた」と事態を「客観的」に見ているのでしょうか?

 それは英語が「因果関係」という「抽象」を見ているからです。

 大西先生が指摘されているように、「感情は外側の原因から引き起こされる」ことを英語の話し手は見ています。そしてこの「因果関係」は目で見ることができる具体的なものではありません。話し手の頭の中で想像することによってはじめて見えてくる「抽象的」なものです。

 そしてこの「抽象」である「因果関係」はこの場合、「私の驚きという感情は外側のニュースという原因から引き起こされた」ため、「~される」という「受動態」を使っているのです。
   

   受動態: ~される   客観的視点  

                  因果関係という「抽象」が見えている

                  感情を表現する際の「英語の視点」


 一方、日本語の話し手には「因果関係」という「抽象」は見えておらず、「驚いた」という目に見える「具体的」な事態だけを見ています。「私は驚いた」と言う際、日本語が「私は驚いた」と事態を「主観的」に見て「能動態」を使うのはこのためです。

   
   能動態: ~する   主観的視点  

                 目に見える「具体」だけをみている

                 感情を表現する際の「日本語の視点」


 以上のことからも、英語がいかに「具体」と「抽象」を形で区別しているかがわかります。


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