池上嘉彦 『英語の感覚・日本語の感覚』 NHK出版、2006年
英語が日本語よりも「抽象的」な表現を得意としている例を、この本から取り上げます。
それは「再帰代名詞」の使い方です。
以下引用です。
- 同じ状況を言語化していながら、英語のほうでは再帰代名詞を用いるのに対して、日本語のほうでは「自分自身」というような言い方をせず、せいぜい<身体>とか、<頭>、<首>といった<身体部位>を表す表現で処理するということである。
- たとえば、”He hanged himself.” や “He washed himself.” といった文は “He hanged the robber.” とか “He washed the body.” といった他者への働きかけを表す文と表現の形式はまったく同じであり、hang や wash という語の他動詞としての使い方もそれぞれの2つの文ではまったく同じである。
- ということは、再帰代名詞を用いている表現でも、再帰代名詞として表されている<自分自身>は行為を蒙る対象としての<他者>並みに扱われているということである。
- 英語の話し手は自分自身を客体化し、他者として捉えてみるという心理的操作に関しては、日本語の話し手に較べると、はるかに抵抗感なくやってのけることができように思える。(P168)
自分自身を客観的に捉えることは、自分自身を「抽象的」に捉えていることを意味しています。
そして、英語は日本語よりもはるかに抵抗なく「抽象」的な視点をやってのけることができるのです。
当ブログの【英語の視点と日本語の視点】のところで以下のような指摘をしました。
英語の視点 : 「鳥瞰図的視点」
→ 主観的視点 + 客観的視点
→ 「具体」だけでなく「抽象」もみえる
→ 自分自身も客観的にみえている
→ 主語を省略しない
日本語の視点 : 「埋没的視点」
→ 主観的視点のみ
→ 目の前の「具体」だけがみえる
→ 自分自身が客観的にみえていない
→ 主語の省略
「再帰代名詞」の使い方にも上記の視点の違いが反映されていると思われます。
0 件のコメント:
コメントを投稿